top of page
  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram

​言葉を扱うこと、話すこと

 劇場に入ると、ウイングフィールド本来の客席を取っ払って大胆に横使いしたアクティングエリアには、それぞれ黒と白の衣裳をまとった2人の女性が、客入れの段階から背中合わせに座っている。その周囲には何かが書かれていると思しき丸められた紙屑が大量に散らばっている。劇が始まると、2人は「上を向いて歩こう」や「かごめかごめ」などを歌ったり、多様性や自由などについてのとりとめもないお喋りを日常会話のトーンを保ったまま続けていく。この2人はいかなる存在なのか、そしてこの抽象的な空間はどこなのか、私たちはいったい何を観ているんだろう?

 時間が進むにつれ徐々になんとなく明らかになっていくのは、どうやらこの2人は大学生で昔からの親友同士だったが、何らかの理由で黒服の方が不登校になり、毎晩のように電話はしていたが、どうやら白服がかけた何らかの言葉が背中を押すかたちで(それだけではないようなのだが)、黒服は白服の目の前で飛び降りて命を絶ったらしい、ということだ。この空間は白服の部屋のようでもある。私たちがこれまで見ていたのは、演劇ではお馴染みともいえる生者と死者との対話だったのである。2人はとりとめもなく言葉を紡ぎ続けるが、それは対話とは程遠いお気持ち的なものばかりで、実質モノローグのようなものである。白服が黒服にかけた決定的な言葉が明確にされることもないため、劇中のセリフにもあり、本作の主題なのだろう「言葉(文字)を扱うことの難しさ」がいったいどのような難しさなのか、字義以上に深められることはない。ただ、「話すことは離す(放す)こと」(河合隼雄)なのであれば、本作はあくまで生者の方が死者から解放されるために必要な、お話の時間を描いているのかもしれない。

 ところで筆者にとって、実際にある言葉を心の中だけで思っていることと、それを実際に他者に発語すること/文字に起こすことは全くの別物なのだが、この作品の言葉は実際に他者へ向かって発語される以前の、心の中でだけの逡巡段階のもののように感じられ、それはこの作品そのものにも当てはまるのではないだろうか。確かに、言葉を扱うこと―まず前提として、言葉や文字を「他者」に向けて発することは難しいのだ。

ひとときHP3.jpg
ひとときHP1.jpg
ひとときHP2.jpg

執筆者 プロフィール

三田村啓示(みたむらけいじ

主に関西圏を中心に、演劇について多岐にわたる活動を行う。第18回(2015年)関西現代演劇俳優賞受賞。KYOTO EXPERIMENT主催【批評プロジェクト 2025】にて、「告白と謎」が最終選出作に選ばれる。最近は労働と育児の合間に演劇作品に出られそうなら出たり、雑文や劇評を書いたりする。WINGCUP審査員については、ウイングカップ5より10年にわたり務めた。

bottom of page