top of page
  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram

「本物の偽物」

「FAKE BLUE」というからには「TRUE BLUE」もあるのだろう。偽物はいつだって本物なしにはあり得ない。では、この作品のいう本物とは何なのか。それは、誰がどのように決定するのか。

実在の事件や社会問題を想起させる要素の多々ある舞台だった。抑圧的な母に何年も医学部を受験させられた娘が母を殺すというストーリーは「滋賀医科大学生母親殺害事件」を思い出す。母を殺害した後のあおいの「モンスターを倒した」という台詞は、犯人の事件直後のツイート「モンスターを倒した。これで一安心だ。」と重なる。母がカルト的な新興宗教に入信しているという設定は、「安倍晋三銃撃事件」で話題になった旧統一教会問題などを思わせる。細かいところだが、母親との繋がりを象徴するパンが実際の上演ではスティックパンが使われているのも、最近インターネット上で話題になった「片親パン」が脳裏をよぎったりする。
このように実在の事件や社会問題が多くモチーフとして持ち込まれた作品だからこそ、この作品を特徴づける一点が際立つ。何か。神的な存在の介入が描かれる点である。BLUE=あおい。主人公あおいが本当の自分を見つけるまでの物語としてこの作品は観ることが出来るだろう。母の理想の娘を演じようと振る舞うあおいが、人々との交流を通して自分の気持ちと向き合い、本当の自分を生きることを決意する。そこに神的な存在の介入が描かれることは、何だか奇妙な気もする。なぜなら、この作品はあおいが本当の自分を生きるために、自分の人生を取り戻すために、母を殺すということにドラマがあり、それが神的な存在によって導かれたものだったという結末は、ともすれば劇の輪郭をぼやけたものにしかねない。母の理想の娘を演じようと嘘の自分を生きてきたあおいが、神の理想の人間を演じるようになっただけではないのか。それも、演じさせられているとも知らず、それが本当の自分だと思って。
この問いへのヒントがあおいとその同僚しずかとの会話にある。しずかがあおいに母と別れて自分と一緒に暮らさないかと提案する場面である。

あおい お母さん、ほんまはあんな人やないんです。
私が、子供のときは、あんな人やなかった。
いつもニコニコして、優しくて。お父さんと離婚してから、少しずつ。だから。
しずか あかん。
きよし おい。
あおい 私も、嘘偽りのない自分を見つけたいから。ごめん。

ここで注目すべきなのは、あおいが嘘偽りのない自分を見つけるためには母と話さなくてはならないと考えていることである。このまましずかと逃げ出したって、本当の自分、母の言いなりではない自分の人生を歩めるはずなのに、母と話さなくてはならないのだ。なぜか。それは、ここであおいの言う本当の自分とは、なりたい自分のことではなく、自分が肯定できる自分のことだからである。ここに、神からの逃走線がある。この作品に登場する神的な存在たちは皆、運命に干渉を行う。それは言い換えれば、運命を自在に操ることのできる彼らにとって、本当の自分とはあくまでも自分がどうあるかでしかないということなのだ。だが、あおいにとって本当の自分はそうではない。ままならぬことばかりの人生をどうやって肯定できるか、肯定できるものに変えていけるのかということが彼女にとっての本当の自分を生きることなのである。このテーマ性は以下のしずかの台詞からも読み取ることが出来る。

 しずか きよっさんにも言われたんやけど、初めは、あおいちゃんと娘を重ねて見てた。私、仕事ばっかりで、あの子が病気になるまで、何一つしてあげられへんかったから、罪滅ぼしやないけど、代わりに優しくしてたんやと思う。でも、今は違う。純粋に、あおいちゃんを助けたい。

ここでも問題になっているのは、どういう気持ちであおいを助けたいと思っているか、自分が肯定できる自分かである。
 この作品は、抑圧された娘が自分の人生を取り戻すために母を殺すというセンセーショナルな筋と、その運命に神的な存在が介入するというどんでん返しに注目してしまい、本当の自分というものを問われたとき、自分の思い通りに生きようと手を伸ばす人々という面に目がいってしまう。だが、この上演で真に問われているのは、むしろ真逆で、今までをどうやって受け止めて、肯定していくことができるかということなのだ。

今、世界から運命が失われている。アルゴリズムによってお似合いの恋人候補を勧めてくるマッチングアプリ。購入履歴からレコメンドしてくるショッピングサイト。みんな自分の人生をどうしようか考えて、できる限りコントロールしようとする。そうやって生きてきた私たちの人生の、それでもどうしようもできなかった部分、それを誰かが見てくれていたら。そんなある種の期待をこの作品は私たちに希望として持たせてくれる。だが、それと同時にこの作品には別の提案も含まれている。偶然性を楽しむこと。運命に弄ばれてみること。そんな風にして、今の自分を肯定して生きていくこともまた、本当の自分を見つける方法なのだとこの作品は教えてくれる。

 

レビュアー プロフィール

泉宗良(いずみそら
うさぎの喘ギ ウイングフィールドスタッフ

1996年生まれ。大学の演劇サークル入部を機に演劇を始める。在学中にうさぎの喘ギを旗揚げ、主に劇作、演出を担当し、ウイングカップ8で優秀賞を授賞。大学卒業後のコロナ禍では配信であることを逆手に取った作品を発表し高い評価を得る。2022年度よりウイングフィールドスタッフ。

bottom of page