top of page
  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram

「おきてはざまであいましょう」

1月下旬、北の大地の空気と共に、いや文字通り記録的な寒波を大阪に連れて来たポケット企画の面々。彼らの初となるツアー公演「おきて」を観劇した。すっかりこのタイトルをしきたりやルールを意味する「掟(おきて)」だと思っていたのだが、実際には「起きて(おきて)」だった。立場上、事前に彼らと話す機会が多くあった私でさえそうなのだから、同じような間違いをしていた方は多くいたのではないだろうか。もちろん、作家はダブルミーニングとしてこのようなタイトルをつけていたのだろう。あまつさえ作品は家族の話からはじまっていく。「掟」というタイトルだと思っていた私は、古いしきたりや家父長制をテーマにし、そこから現代の問題をあぶりだしていくような作品なのかなと盛大な勘違いをしてしまった。その勘違いは幕が開いて割と早い段階で訂正されることになった。

 この作品は、会話をベースとしながらも、要所でコンテンポラリーダンスのような身体表現を用いて進んでいく。下手の天井から吊り下げられた白い紗幕の後ろに立つ女性の身体表現から始まったかと思うと、祖父の葬儀に向う車中の兄弟の会話が展開される。後部座席で寝ていた娘が起きると「音楽」という台詞と共に歓喜の歌が流れだし、兄弟が反転ゲーム(購入した台本にはそう書かれていた)で遊び始める。「大きい/小さい」「暖かい/冷たい」「あなた/わたし」など半ばアドリブも交えながら反対の言葉を言い合う兄弟は、きっと幼い頃にこういう遊びをしていたのだろう。
 この反転ゲームのシーンがポケット企画の「おきて」を象徴するシーンのひとつとして私には強く印象に残った。彼らの反転ゲーム以降、登場する人物やシーンはことごとく反対の存在だったように感じる。
「大人/子ども」「ダンスを続ける人/ダンスを辞める人」「街に出た人/田舎に残った人」「ワークショップの講師/ワークショップの受講生」「起きる/寝る」「夢/現(うつつ)」「生きてる人/死んでる人」などなど。
 今ざっと思い出せるだけでもこれほどの数があり、徹底して反対の存在なのである。細かく見ていけば恐らくもっと沢山の反対が存在しているのだろう。反対、反対と何度も書いたが、忘れてはいけないのが、台本に準拠すると「反転」ということである。この作品では相反している事象や存在をすべて等価に扱っているように感じられた。決してどちらにも優劣をつけず、どちらのことも丁寧に描いていた。これはどちらか一方が簡単なきっかけでもう一方になってしまうことを意味しているのではないだろうか。そして作家の三瓶さんはそのような体験をしたのではないだろうか。そう感じられた。
 しかし、作者はなぜこんなにも徹底的にそして露骨に反対の存在を登場させているのだろうか。はっきりと二分できるようなものは世の中にはあまりないのではないか。線を引くのはいつだって自分自身なのではないだろうか。そんなことを考えていると私はひとつの考えに行きついた。きっと作者は「はざまにあるもの」を描きたかったんじゃないかと。
 反転ゲームをしていた兄弟の父親は「人は死なない」と言いながら若くして死んだ。結果だけ見ると父は矛盾したことを言っていたのだが、今生きている我々が「「人は死なない」と言いながら死んだ人」を想い、「なんでそんなこと言ってたのかなぁ」とか「やっぱり変な人だったよなぁ」なんて考えを巡らせることが大事で、二分することだけに意味はなく、その間にあることを考えましょうよ。ということが作者この作品で提示したかったことのひとつではないだろうか。そう思うと、子どもの「うき」と大人の「うき」が出会うシーンの感動もひとしおである。一見子どもの自分に純粋な言葉を掛けられて、ダンスをすることに悩んでいた大人の「うき」が思いを新たにしたシーンように感じるが、子どもの「うき」も大人の自分を見てどこか嬉しそうだった。かっこいいと思ったのか、うらやましく思ったのかはわからないが、自分が大人になることに希望を頂いたような表情だった。反対の存在である彼女たちは互いに言葉を交わすことで、大人の「うき」はこれまでの自分に、子どもの「うき」はこれからの自分に思いを巡らせることができた。だからこそ新しい朝を真正面から迎えて「おきる」ことができたんじゃないだろうか。

 昨今というよりもずいぶん前からSNSなどでは、これは「だめ」。それは「正義」。あいつは「悪人」。ここは「良い」などと、すぐに線引きをする人が多いように感じる。線を引き区別をすることで簡単に安心を得られるかもしれない。しかしそれで本当によいのだろうか。思考を放棄して決めつけてしまってはいないだろうか。ポケット企画はそんな人達に目を覚ましてほしくて、一緒に言葉を交わしてたくて、やさしく「おきて」と呼びかけているような、そんな心温まる作品を冬の大地から持ってきてくれた。素敵な作品をウイングフィールドに運んできてくれた彼らに盛大な感謝と、札幌公演の成功を祈りつつこのレビューを終わろうと思う。

 

レビュアー プロフィール

豊島祐貴(とよしまゆうき)
プロトテアトル 俳優

​ウイングフィールドスタッフ

1992年生まれ。「俳優になればいろんな職業になれるやん」という浅はかな考えから近畿大学芸術学科舞台専攻に進学し演劇をはじめる。その後同級生と共にプロトテアトルを立ち上げ現在は俳優として活動している。ウイングフィールドには2015年より勤務しており、3年ほど前からWINGCUPを担当している。劇場スタッフとしてお会いしていた人に、俳優としての現場でお会いすると、なんだか恥ずかしい気持ちになる。

bottom of page