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「生と死と違和感」

この公演は出演者の体調不良により役者が舞台上で台本を持って台詞を読み上演するリーディングという形態での上演形式に変更となった。本来予定されていた上演形式を知る由はないが、今回のリーディング上演で行われていた、ひとつの役を複数の俳優が行うシーンはなく、複数の役をシーンごとにひとりの俳優が演じる形式を予定していたそうだ。上演をご覧になった方はお分かり頂けるだろうが、この作品には「よくわからなかった」部分を多く感じた。しかしこの「わからなかった」部分は、リーディングでの上演を行うために、ひとつの役の台詞を複数の俳優で分けて言うという方法を取ったからだろう。そして、タイトルにもある通り「この作品には死がたっぷり含まれて」いる。登場人物が死んだり、周りの人間が死んだり、飼っていたペットが死んだりする。それだけではなく途中で複数回流れる、ガザ侵攻のニュースや、悪天候による子供の行方不明など、死を連想させる要素がかなり多分に「含まれている」。その連想される死は様々な距離をもって登場する。肉親や友達、知り合いや見ず知らずの人など。そういった様々な死がこの作品に暗くまとわりついている。その怖さや気持ち悪さが忌避感に繋がり、作品にもやをかけ続けている。薄暗い照明、不穏な音響もそれを助長し終始気持ちが悪いような感覚を覚えた。そういった要因から「よくわからなかった」という感想を持つことは想像に難くない。

 この作品では確かに死が多く登場しているが、その死の多くは軽々しく登場する。「何か深い悩みを抱えそれに耐えきれず」ということもなく、「生活が苦しくて希望が持てないから」ということでもない。「なんか嫌なことがあった」くらいの理由で死んでいく人が描かれる。もちろん、内側では何かを抱え、悩み、苦しんだ果ての選択だったのかもしれないが、その死を受けた登場人物は一切理由に興味を示さない。それ故に観劇している我々にはいっさいそれが明かされない。ただ「死」という現象が不意に登場するのだ。しかし、親兄弟が死んでしまったあとも自分の生活は続いていくから、周りに迷惑をかけないようにふるまう。それをわかっているから周りの人間もあっさりとした対応で「別に(こちらにはなんら影響ないし)大丈夫だよ」と声をかける。そのやりとりが妙にリアルだった。

 上記のような死への扱いが作中で感じ取れるようになっていくにつれて、前述の上演方法も相まって、この作品のなかでは全てが等しく扱われていくような感覚に陥った。ひとつの役を複数の俳優が演じていたり、死についての言及が極端に少なかったり、果てには1人だけ複数の役を演じ、残りの5人は1人の役を演じるシーンまで登場する。生物だけでなく生死のような物理現象でさえも等しく、あいまいになっていく。その最たるシーンが座席やつり革がおかしくなる電車のシーンだろう。座席が外れたり、つり革が自由になって光ったり、電車の様々なものがおかしくなって騒いでいる人達に「静かにしてもらえますか」そのこと自体に気付いてすらいない人に一喝される。明らかに異常なのにそれを観測できていない(騒いでいる乗客の声は聞こえているが、その現象は見えてない)と、実感が全く湧かない。ニュースで流れる様々な死と同じように。我々は観測、認識して初めて実感を得るんじゃないだろうかと訴えるかのようなシーンだった。

 唯一、少しながら作中で死に関して感想を語るシーンがあった。作品の軸を担っていた女性の幼少期のシーンである。遭難しているからの恐怖感からか、「私は死んじゃうから」「悲しいから死の話は止めてほしい」「ずっと先に私は死んじゃう」「ずっと先にはみんな死ぬよ」という会話を交わす。遭難し死が迫っている子供だからこそ、純粋に死の話ができたのかもしれない。しかし、死が迫っているという意味では大人の方が寿命から言えば死が迫っている。だがその大人は死を忌避し触れようとしない。その怖ろしさ、気持ち悪さを私は感じた。故にこの幼少期のシーンは死がまとわりついているこの作品において、すこし穏やかに過ごせる時間だったように思う。

 作中最後のシーンで、今まで描いてきた死にこれでもかと反するように植林や子供が何人欲しいかなど生の話をする。照明も音響も明るい印象になり、全く違う作品が始まったのかと思うほどに違う印象を受けた。しかしそれが心地よく、今まで多くの死をまとい作品にかかっていたもやを晴らしてくれた。作品にたっぷり含まれていた死に触れることで生を強く実感する。そんな作品だった。 

 

レビュアー プロフィール

豊島祐貴(とよしまゆうき)
プロトテアトル 俳優

​ウイングフィールドスタッフ

1992年生まれ。「俳優になればいろんな職業になれるやん」という浅はかな考えから近畿大学芸術学科舞台専攻に進学し演劇をはじめる。その後同級生と共にプロトテアトルを立ち上げ現在は俳優として活動している。ウイングフィールドには2015年より勤務しており、3年ほど前からWINGCUPを担当している。劇場スタッフとしてお会いしていた人に、俳優としての現場でお会いすると、なんだか恥ずかしい気持ちになる。

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