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「勇敢なZたち」

「芸術は不要不急」であるとして、我々はここ数年間で多くの我慢を強いられてきた。クラスメイトの顔を知ること、人生で何度か限りの修学旅行、大切な人と一緒に過ごす時間など、今、それがなければならないものが、ことごとくなくなってしまった。その憤りはどこかにぶつけられるものではなく、それが仕方のないこととして閉ざされる。本作では、そのどうしようもなく理不尽なものを「パプリカどろぼう」と称して立ち向かう4人の少女の勇姿が、舞台上を彩ったのである。

 本作では「パプリカどろぼう」の正体は明かされなかった。ただ「何でも盗む謎の生物」であるとして、我々の身の回りをことごとく攫っていく。それらは決して形あるものだけに限らず、友情、時間、権利などまで、読んで字の如く「何でも盗む」のである。私は、本作の序盤を観劇したとき、新型コロナウイルス蔓延防止のための活動自粛要請を隠喩しているのではないかと推測した。だが、決してそれだけに限定するわけではないようだ。

 本作は平成15年生まれとその前後何年か生まれをターゲットとしたものである。我々にとって、新型コロナウイルスのパンデミックは確かに人生に大きな影響をもたらし、当たり前に保証されていたものが当たり前でなくなってしまった瞬間である。しかし、それは決してZ世代の学校行事だけに限らない。例えば、先述した通り「芸術は不要不急」とされてきた我々舞台役者が晴れ舞台を奪われていくように、インフルエンザが流行って間もない頃、当時学生だった人らがコロナパンデミックと同じような自粛を経験したように、そして地震大国の日本に万が一のことが起こったとき__要するに、本作のターゲットをZ世代に限定して観劇するのは、甚だ勿体ないような気がした。万人にとって、違う形をとって共感されていくだろう。それが最終的には同じ結末を迎えるだろうという点が、本作の無限の可能性を感じさせるのだ。

 「私、誰かのために走れる人間で良かった」__これは、4人の少女のうち1人がパプリカどろぼうにさらわれてしまったときに、彼女を追いかけるために疾走したもう一人の少女の発言である。個人的な意見だが、この発言が本作の中で最もインパクトが強く、確かに観客の心根を貫いたような気がした。このとき、彼女らは多くのものを失っていた。さらわれた少女は自分の未来を見失い、旅行を十分に楽しめていない様子であった。そんな彼女を物理的に見失い、4人が心理的にもバラバラになってしまった瞬間に、すべての登場人物が決してネガティブ思考にはならず、むしろ、これでは私たちらしくないと言わんばかりの結託が感じられた。ファンタジーものの友情は都合が良すぎることが多いが、私は、作中の友情を「無駄に美しい」とは思わなかった。ちょうど私が平成15年生まれでターゲットとしてストライクしている部分はあるかもしれないが、本作に強く共感する部分があったことから、最後まで違和感なく観劇できた。

生気を帯びたリアルな感情を台詞に起こした脚本・演出の健康氏と、それをうまく表現することができたすべての役者の、自身の経験が基盤となり組み立てあげられた本作は、形を変えて未来永劫、すべての人間に共感されていくだろう。今回が再演とのことだが、再々演、再々再演として、上演を続けてほしい。新型コロナウイルスに続く何らかのパンデミックが起きたとき、またこの作品が当時のターゲットにとって希望となることを願う。

 

レビュアー プロフィール

村上萌(むらかみもえ
主に役者、戯曲、衣装の勉強をしています。

2022年に近畿大学文芸学部芸術学科舞台芸術専攻に入学。34期生として舞台芸術に関する全ての分野を幅広く学ぶ。

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